イントロダクション

2012年、2回目の更新。
『ジマンジュ』の方ではフワッと軽めに説明したりもしたんだけど、この日記には何も書いていなかった。
それは忙しいということもそうだし、書くべきではないと思っていたところもある。
ここ最近、週4日の勤務の状態で、やっと精神的にも落ち着いてきた気がするので1度書いてまとめておこうと思う。
昨年末から、今に至るまでを。


ここで書きたいことを書いて、自分の中でも経緯を整理し、誰かに説明する時はある程度淀み無く出来るようにしておこう。


まず、これから書くことを簡潔にまとめると、「夢をあきらめました」ということになる。
ただ、この結論を説明したり理解してもらったりするのには、そこに至るまでの経緯や心の動きが絶対に必要。
なので興味ある方は、これからしばらく続く文章を読み進めていただけたらと思う。



ここ数か月書きたくても書けなかった、今回の話が始まるのは去年の11月。
やっと2つのバイトそれぞれにも慣れ、その中で新しい事にも手を出していけるようになるのかなぁ、という時期。
『ジマンジュ』でも、深夜の生放送ごっこを月1ペースで始めようとしていた、まさにその時期。
ラジオのバイトの方で、とある仕事の話を紹介してもらった。
その仕事とは、僕が憧れているラジオ局で働くチャンスが頂けるというもの。
紹介してくれた方には、以前そのラジオ局で働きたいという思いを伝えていたこともあり、ふと舞い込んだ話を僕にふってくれたのだ。


その仕事の話というのは、ある程度のラジオ番組制作の経験があり、やる気のある人を探しているということだった。
そんな話を聞き、僕は少しのシンキングタイムを経て
「はい。ありがたい話ですので、とりあえず話を進めてもらって良いですか?」とすぐに返事をする。
内定の無いまま大学を卒業し、フリーターとしてラジオの仕事を始めた去年。
「少しでもラジオに関わる仕事をしていれば、いつか目標のラジオディレクターになれるような機会が訪れるかもしれない」
そんなことを考えていた自分にとっては、断る理由も無い話だった。



しかし、ここで皆さんに知っておいてもらいたい1つの事実がある。
それは、この11月当時、僕の体調は最悪だったということ。これが後の展開に繋がってくることとなる。
その主たる元凶は、十二指腸潰瘍という病気。
これとは小学生の頃から付き合っているが、この時期はしばらく落ち着いていた症状が再び出ていて苦しい頃だった。
ここに重なったのが、首の痛み。
酷い時には首を動かすこと、寝た状態から起き上がることすら難しい状態になった。
最終的にはMRIまで持ち出し、詳細を調べてもらうことになった。
結局、十二指腸潰瘍の方は薬を新しいものに切り替えることで症状は徐々に緩和、首の方は大事には至っていないらしく湿布を張ったりして対処していた。
こうした不調の原因、首の症状に関しては僕の骨格の問題であり、
すぐに原因を解消出来るというものではないらしい。
これに対し、十二指腸潰瘍の病状悪化、こちらの方に関しては医師の診断と自分自身の自覚としても、要因ははっきりしていた。
それは、不規則な生活サイクルと劣悪な食事。
社会人を始め、外食は一気に増え、ストレス解消などから食べる量の増加にも繋がっていたと思う。
それを続けていれば、常人よりも健康に気を使うべき人間に無理が出てくるのは分かっていたこと。
そんなわけで、この時期は毎週病院に通うような生活を送っていた。
上で書いた「少しのシンキングタイム」に考えたことの中の1つに、この体調のことがあったのは言うまでもない。
それでも、私は前に進むことを選んだ。



しばらくするとある制作会社の方から連絡をもらい、面談をすることになる。
場所は、憧れの局近くにある喫茶店
制作会社の方は忙しそうな様子で、現状の僕に何が出来るのか、どうしてラジオの仕事をしたいのか等等を聞かれた。
また、どういう人を探していて、どういう業務をすることになるのか、給与や他の候補の方の話を改めて聞くこととなった。
そして、「直接話を聞いて、自分は出来ると思うか?」というこちらの意思の確認と、具体的に他のアルバイトのシフトを調整して仕事を引き継げる状況にする方針を決めることになった。
正直、最初に提示されていた「ある程度のラジオ番組制作の経験があり、やる気のある人」
という条件に見合わない自分の現状、そしてこの面談で聞かせてもらった他の候補者がいることを考えて、この時点では僕にチャンスがあると思っていなかった。
悪い言い方で言うと、今回はやらなくて済む・やらないんだろうなぁと考えていた。
それでも面談最後には、「貴重な機会ですので、チャンスがあれば頑張りたいと思います」というような言葉を吐く自分がいたと記憶している。



ここで当時の僕に必要だったのは、そこまで新しい仕事に乗り気ではない自分の気持ちを振り返ることだったと思う。
ホント、今の自分があの時の自分に声をかけられるのであれば、何かを言ってやりたい。
ただ、今の自分でもすぐにあの時に適した言葉が思いつかない・・・
そう考えれば、今の現状は必然的だったのかもしれないと少し思えてきた。



面談の次の日。
シフトを調整したり仮に辞めたりする場合、どうすれば良いのかということをラジオではないバイトの方で相談した。
ここの段階でも、今回のケースは新しい仕事が実らなかったとして、
いつかはこちらのバイトを辞めることになるだろうから、ここで辞めるための必要事項を確認することにマイナスは無いと思うぐらいの心境だった。
やはり、新しいラジオの仕事に現実感がなかったように思う。
そんな感覚のまま話を聞いてみると、基本的には柔軟に対応してくれるということで、
この段階ではとりあえず週1回の出勤で、ラジオの方が上手くいかなかった場合に戻ってこられる余地を残した形のシフトへと特別に変更してもらうこととなった。
上司からは「大好きなラジオの方で頑張ってきなよ!」という温かい言葉と同時に、
「ラジオがダメだったら、こっちで頑張れば良いじゃん!」という声もかけてくれた。
正直、この時のこの言葉は大きかった。涙が出そうになった。
2つのアルバイトを約半年間やってきて、ラジオの仕事場ではたくさんの方にお世話になって、やさしくしてもらってきた。
でも、それと同時にもう1つのアルバイトでも同様にお世話になってきたことを改めて自覚した。
この頃から、次第にある思いが大きさを広げていく。「こっちのバイトを辞めたくない・・・」