憧れの場所で

バイトのシフトを調整できたことを制作会社の方へ伝える。すると、まもなく採用決定の連絡をもらう。
ある意味ようやく、ある意味あっけなく。僕はあの憧れていたラジオ局で働けることになった。



実際の現場に立ち会わせてもらうこととなった初日。
その日は、これから僕が担当することになる2つの番組に加え、他の番組も見学させてもらった。
そこはまさに中学時代からイメージしてきたような数多くの有名人、とりわけ憧れの声優さんたちが集う現場。
遂に来てしまった…そして、これからここが自分の職場となる。感慨深げな時間だった。


ただ、それと同時に現実が自分を直撃する。
この日、制作会社の方から説明を受けた今後の働き方は、率直に言えば想像を超えていた。
1週間で考えると、それまで半年続けてきた別のラジオの仕事以外、他の時間はこの制作会社の仕事に従事する形を求められていた。
朝・昼・夜、その区分など関係なく。
「ラジオだから、そこまで厳しい働き方にはならないだろう」、この意識は確実に僕の中にあった。
それはテレビとの比較。テレビ業界の厳しさは、様々な方面から理解していたつもりだった。これに対してラジオのことは、厳しい業界事情を全く心得ていないわけではないものの、現実感を持って触れられていたかというと、そこまでは出来ていなかったのかもしれない。
決して楽な仕事では無いことは分かっていた、つもりだった。
簡潔に、僕の認識は甘すぎたと言える。


そんな現実を目の前に。僕は1段目の逃避行動をとる。
一連の仕事の説明をされ、僕はそれまで聞く一方であった状態から口を開く。
「すみませんが、そういう働き方を続けていく自信があるかというと、正直体調のこともあり自信がありません・・・」
この発言に、もちろん先方が引っかかる。「えっ?体調が悪いの?」
そう、体調のことは先方に伝えず、ここまで話を進めてきていた。



ただ、ここで言い訳をさせてもらう。カッコ悪いのは承知の上で。
まず1つ言いたいのは、「そんなにミッチリ入る仕事だったんですね」ということ。番組の話であったり、給与の話なんかは聞いていたつもりなんだけど、休みもなく昼夜拘束されることを僕は最初の話の中で理解出来ていなかった。
その責任が何処にあるのかというと、“お互い”という所へ落ち着くことになるとは思うけど。
まぁ、やっぱ僕が言えるのは「こちらがそれぐらいのことを覚悟した上で、飛び込んで来いよってことですよね?」という先方の無言の条件を認識出来ていなかった点をを反省すべきということ。
とは言え、それだけ厳しい仕事環境を認識していたのであれば、さすがの自分でもこの段階になるまで体調のことを伏せずにいることはなかったのでは?と思うところでもある。


ということで、自身の健康状態をようやく伝えることとなった。
この段階で、僕の心中としては既にマイナス方向にしか舵が切れなくなっていたのだろう。
「もっと早くに伝えられれば良かったのですが…そう考えると、今回の話は難しいと思います」
この言葉が脳内にはループするような状態だった。憧れの局での仕事、それを僕はもう放棄しようとしていた。
しかし、ここで終わらないのがこの話。


この時、こちらが待っていた言葉は「最初から体調に不安のある人間を使うわけにはいかない。他の人間に代わってもらう。良いね?」、これだった。
しかし状況は、それほど甘い言葉を許してくれるほど悠長ではなかった。
ここで僕に提案されたのは、先方からの譲歩案だった。
こちらの体調と先日の面談時に伝えた「何故ラジオを目指したのか」その理由を考慮し、目前に迫ったスタッフの入れ替え時期に対応するため、必要最低限の勤務時間だけを提示された。「これだったら、どうだ?」



さて、また1つ意見を言わせてもらいたい。
それは、ここでの僕の心境。もちろん先に書いたよう、既にこの仕事を辞めたいと思ってはいる。ただ、それと同時に、「わざわざ良い話を紹介してくれた人々に対して申し訳ない、迷惑をかけたくない」という意思もあった。
そりゃあ、そうだ。どう考えてもこの話は理想的な話であったし、数名の方の好意から自分のところへ舞い込んできた話だった。それなのに、こんな何も始まらない段階で自ら手を引き、より多くの迷惑をかけることになってしまう結果は避けるべき。そう考えていた。
この謝意により、僕は決断を持ち越すことになる。そして、それは後々自らを苦しめることとなった。


「ご迷惑はおかけしたくないので、1番良い形でやらせてもらえればと思います。」これが僕の口から出てきた言葉だった。
憧れのラジオ局での初日。
僕は夢心地の一方、現実を知り、やっと自分の健康状態を説明することが出来た。ただ、目の前に横たわる状況を無視することは出来ず、自分の本音を建て前で隠し進むこととなった。


しこりを残し、前へ進む。