強制終了

大長編シリーズ。もう書く気にならない。


あれを書こうとしていたそもそもの理由は、
「自分の中でこの数ヶ月の出来事を整理出来ていなかったから」だったと思うけど。
その目的は、既に解決されているようにも思う。


完全では無いものの心の中ではいろいろなことが整理されつつあるという事と、
そんな過去のことよりも未来に続く目の前の課題が処理しきれていないという事。
ゆっくり振り返る必要性・重要性が、もはや無くなりつつある。


一応シリーズの続きをざっくり、多少整理の出来た精神状態で説明すると・・・




早々にギブアップを宣言した自分は、とりあえず後任の人が決まるまで最低限の仕事を続けることになった。
何も期待されない日々。いつも以上に、「申し訳無さ」だけを感じる不毛な仕事。
ただ、そういう立場になったことで、それまでの仕事の中で引っかかっていた「何か」を吹っ切ることが出来てたのかもしれない。


既に後には引けない道を選んでしまった。あとは前に進むだけ。
自分が選んだ道は、それまで「夢」と信じ進んできた道から離れる未来。
そう、よくよく振り返って考えてみれば、僕自身は時たま真実に近いことを呟いていた。
「ラジオが好きだと思い込み、そこを目標にしている」




ラジオに愛着はある。知識とか技術は、然程自信が無い。
というか、“自信”なんて話をしだしたら、僕が持っている自信は「自信が無いことにだけは自信がある」ってだけ。
だから、言えるのは大学生活の結構な割合をラジオに執着して過ごしてきた、ってこと。


そんな思い込みから解き放たれ、僕は4年間を費やしてきた時間を根底から覆すことになる。


ここでもう1度、『らじお・む〜』との出会いを振り返ってみても良いかもしれない。
あの番組に僕が見たのは、「楽しそうな現場」だった。そこに「ラジオ=楽しい現場」というすり替えが発生する。
で、いろいろと経た現在。そこですり替えをするのではなく、素直に感じる「楽しい現場」を目指すべき、という答えに至った。


そして、その「楽しい現場」を仕事に求めることは、今現在の僕の精神構造にはちょっと見合わないのだと思う。
もちろん掴めそうな所に「楽しい現場」としての仕事があれば、逃す必要は無いとは思う。
ただ、結果でしか納得のいかない自分の思考を満足させる「楽しい現場=仕事」を見繕うこと、これが如何に難しいのか。
そうしたことに気がつくため、必要だったのがこの1年程の日々だったのかもしれない。




ラジオの仕事から、僕は離れる。うん、「逃げる」のだと思う。
「逃げる」ことは否定できないし、する気も無い。
で、今後は戦う場を変える。次の戦場でも、未来はホント全然見えてこない。武器も、現状何も持っていない。丸腰。
そんな状態で、自分なりに走り回ってみようと思う。


「人生の多くの割合は、仕事に割いている」、そんな考え方を持っている。
そんな考えを、もう少し広い視野で見てみる。
「始まってしまっている人生。仕方ないので、楽しい時間をたくさん過ごして終えてみよう。」
「楽しい時間を過ごすために、仕事も他のことにも楽しめることをしてみよう。」


大学卒業、フリーター生活、シェアルーム・・・もっと言えば、大震災含め。
僕にとっては長い時間だった。
いろんなところで「あっという間に1年」とかいう台詞を聞くけど、「時間は、楽しければ短く、苦しければ長く、感じる」と思う僕にしてみれば、どう考えても短くなんて感じることは出来ない。
「1年という時間が過ぎ去ってしまった」「また1年、死に近づいた」と絶望することはある。それと同時に「苦しい時間が、1年は終わってくれた」とも思える。




後悔は、どうしてもする。
僕は後悔しても前へ進めるよう、毎日を頑張る。これまでの1年も、このことは続けてこれたと信じたい。
「頑張ったから、どうにかなった」「頑張ったから、どうにもならなかった」、これしか僕には自信を持つ方法は無い。


これを続けていく。出来る限り。