完全敗北の後、事が起こる前

未知の事が目前にある時、人は高揚感・不安感などいろいろな感情を持つ。


自分の場合、そんな時には期待感やワクワク感のようなものよりも、大幅に不安を感じることが多い。


今がまさにその時。
明日から、また新たに始まるアルバイトに出ることとなった。


昨日の寝坊のこともあり、いろいろと気がかりなことが多い。
この不安で凝り固まった心境を、どうすれば良いのか?
おそらく、どうしようもないとは思う。


とにかく、万全を尽くして、目の前の事象に対応していくしかない。
本番を迎えてしまえば、どうせ考える暇も無くヤルしかないのだから・・・


いや、でもやっぱ怖い。
これだけ大きいんだよね・・・寝坊・遅刻の代償は・・・

伊集院という苗字には、既にカッコイイというイメージは無い

「東京には面白いラジオ番組がある」
そんな認識を持たせてくれたのが『伊集院光 日曜日の秘密基地』だった。


たまの日曜日、家族で東京へ出かける。そんな時には自分のポケットラジオ持って、1人TBSラジオに耳を傾けつつ昼下がりの街を歩く。家族と一緒に行動をしてはいる、それでも心はそこにない。地元では味わえない楽しい時間を、密かに満喫していた。
他では知りえないことを扱っていた、「秘密キッチの穴」が僕には印象深く残っている。リスナーの扱いづらい問いかけに、伊集院さんも親身に答え、そしてラジオを介して繋がった無数のリスナーがリアクションをしてくれる。いつも聴けていたわけではないので、全てを楽しめてはいなかった。それでも、短い時間で触れられた箇所には、志向にフィットする感覚を得ていた。


こうして稀に『日曜日の秘密基地』を聴いていた頃、私は伊集院光というタレントについて、世の中の多くの人が持ち合わせる印象しか持っていなかったと思う。
石塚英彦松村邦洋などと同じく、“おデブタレント”としてバラエティ番組で活躍している人。それ以上の認識は無かったと思う。
もちろんラジオは好きだったので、家では聴けないものの『JUNK』の一曜日を担当していることや、ポアロが世に出るきっかけとなったのが彼の番組だったことぐらいは知識として頭に入っていた。
ただ、今にして思えば、当時は伊集院光という人間の本質を全く捉えていなかった。


だが、私の置かれたラジオ環境を考えれば、これは必然であった。
時代は伊集院がニッポン放送を離れ数年経ち、場所は山梨県甲府市。TBSラジオが普通には聴けない状況で、県域のラジオ局はNHK・山梨放送・FM‐FUJI。山梨放送では、深夜は『オールナイトニッポン』が主流であり、『JUNK』は2部ぐらいしか流れていない。
東京で聴いた『日曜日の秘密基地』のエピソードで分かるように、この番組も山梨ではネットされてはいない。普通にラジオを聴いている分には、伊集院光に触れる機会は無いのだ。


ただ、時はネット時代。インターネットを通じ、短いながらも『JUNK』の一部に触れ、ポアロ経由でも伊集院を知っていくことになる。
そして極めつけがポッドキャストの登場だった。


それまでも、『JUNK』はストリーミング形式のものを単発で聴くことはあった。ただ、爆笑問題コサキンの番組は聴いていた記憶やある程度面白がっていた覚えがあるものの、伊集院の番組については記憶があまりない。
その要因として、後付ではあるが、おそらく出演者の認知度と番組の長さが問題だったと考えている。
ある程度『深夜の馬鹿力』を聴くようになった現在でこそ、ヒットマン桐畑トール田代32と言われても反応できるが、伊集院光をテレビで知っているぐらいの人間にとって彼らの存在はあまりに不明過ぎる。そんな彼らに急に触れても、すぐに面白がることは出来なかったというのが1つ。
そして、今思えば贅沢な話だが、他の番組が数分程の時間だけを区切って配信されていたのに対し、『深夜の馬鹿力』ではだいぶ長めのコンテンツになっていたような気がする。この長さが、当時の私にとってはプラスとして捉えられていなかった。


というのも、インターネットラジオに手を出した1つの大きな要因というのが、性的衝動による所にあるからである。
ここからは少し本線から外れるが、せっかくなので重要なことを。


インターネットラジオに手を出し始めた頃、私は中学生だった。体調を崩し、それをきっかけに始まった不登校で家にずっといたあの頃。
ちょうど同時期にインターネットが出来る環境になった家で、私が日中してたのはテレビでHなシーンを見られるドラマを見漁る事とパソコンで性衝動を収めることだった。
もちろん中学生らしい、中学校ですべき勉強も細々と続けていた。ただ、時期は最も多感で、難しい年頃。興味に引っかかってしまえば、あとは見境無く突き進んでいってしまう。


当時の私は、子供部屋に取り付けられた真新しいパソコンで、ネットの波間を潜り抜け、動画や画像を追っかけていた。しかし、私の家ではそんなピンクな欲望を蔓延らせるだけ、自由にできる環境にはなっていなかった。
そこで私が選択したのは、カモフラージュ作戦。エロいサイトを見るときには、常に他の健全なホームページなどを開いた状態にし、仮に誰かが声をかけてきた場合にそちらのサイトをオープンできるようにしていた。
そんな時によくお世話になったのが、各ラジオ局のページだった。エロ動画を見る時などに使うウィンドウズメディアプレイヤーをごまかす為にも、音声コンテンツを展開していたラジオ局のサイトは都合が良かった。
このようにドラマチックな話の裏側には、常に悲しくも現実的な真実が存在していることを、どうか忘れておいていただきたい。その方が、発信側には良いこともあるのだ・・・


ということで、話を戻すが、ポッドキャストの話である。


私がiPodを使うようになって数年。ポッドキャストというコンテンツが登場する。はじめは、『なんだ礼央化RADIO!』などを聴いていたが、『JUNK』が配信をスタートすると、特に何も考えずに登録し聴き始めた。
するといつからだろう、ドンドンと伊集院ワールドへと引き込まれていくことなった。正確な回数は分からないが、現在も繰り返し聞いている2006年4月から配信されているものは、何百回と聴いているだろう。
最近はA&G、ポアロなどの番組を聴くことが無くなったため、より一層伊集院の番組率が高まってしまっている。

 
何が良いのか。1つは、伊集院のラジオにかける思いがある。「1つは」と書いたが、もしかしたら全てはそこに尽きるのかもしれない。お笑い芸人・歌手・アナウンサー・声優など、いろいろなカテゴリの人がラジオパーソナリティーとして活躍している。しかし、伊集院にはそんなものを超越した上で、ラジオにかける何かを感じてしまう。少し大袈裟なのかもしれないが、1リスナーとして感じてきたものではある。
そうした思念のようなものが、ゼータガンダムを通し・・・もとい、ラジオを通じて私たちにも伝わってきていることが大きいように思える。


また、話芸という点も無視できないのだろう。
正直そちらの方面に詳しくないので、いろいろと言及すべきことがさらえるとは思えないが、直感的に言うと「練りつくされたネタを、すんなり耳から通してくれる」そんな印象なのだ。元落語家という点も重要なのかもしれないが、そこはホント詳しくないので、よく分からない...


個人的には、あの下ネタもたまらない。ネガティブさも、オタクよりな趣味も。
というか、最近は伊集院が好きだから彼と似た趣向になっているのか、そういう趣向を持っているから伊集院が好きなのか、よく分からなくなりつつもある。
それだけ、今の私にとっては伊集院光という存在が欠かせなくなっている。


東京マラソンにおける松村邦弘の心肺停止騒動やウガンダ・トラの死など、ここ数年の動向を見ているとデブタレントたちには過酷な生命維持の道が待っている。そう考えるのは、肥満・メタボリックシンドロームなどの一般的見地からでも当然といえる。
それに加えて、伊集院には精神的にも難しい部分があると思える。それはラジオからでしか感じることの出来ないことなので、何とも言えない部分でもあるのだが・・・私からすれば、そうした心に危うい箇所も持ち合わせているからこそ、親近感を抱くことが出来ているとも言える。ただ、そんな地面スレスレの低空飛行だから面白がれるものの、そのまま墜落してしまうケースも容易に想像できたりもする。
そうした見方からも、私は『伊集院光 深夜の馬鹿力』を死ぬまで聴き続けたいと思っている。私が死ぬのが先か、彼が死ぬのが先か。はたまた、彼の最期のラジオはどうなるのか。仮に自殺してしまった場合、どれだけ後追い自殺が出るのか。いろいろな想像をさせてくれる。

さぁ、あと何回聴けるか。
痴豚の全てを詰め込んだ、サイコーにクールで、サイテーに下劣な番組。
そんな、私たちの代弁者が話し狂う、貴重すぎる電波の時間を。