シェア生活のレビュー

当然というべきなのか、社会人1年目の自分に夏休みは無い。と思う。今の所。
まぁ、この日記にも振り返ると書いてあるだろうけど、あんまり長期の休みを取ると調子が良くなかったりもする。
あれ?でも、大学以降はそうでもないか・・・高校まではそうだったけど。


要は、リズム良くというか、ルーティンで1週間が回っているわけだから、それが崩れてしまうというのが課題なわけ。
ま、休みが取れる目算がついているワケでも無いので、そんな無用な心配はしないでおきます。



ではでわ、今日書きたかったことを。
今、家でこの日記を書いているんだけど、束の間の1人暮らしを満喫している。


震災の日に契約を交わし、シェア生活をスタートさせてきた日々。約5ヶ月。
2011年という年で見ると、もう8月で、「残り4ヶ月」なんてコメントも見えてくる。
あっという間、って声も理解しないわけではないけど。
個人的には、今年という年が“変化の年”なので、とても濃い時間を過ごしていると思っている。


就職先が決まらず、人を頼ってどうにか働き口を見つけ、社会人となった。
その前には、大学生活が卒業式もしないまま終わる。
東京で5年目に突入する生活は、他人と1つ屋根の下、ルームシェアがスタート。
ラジオとおもちゃに触れて、生活費を稼ぐ日々。決して不幸せではない、一種の幸せな生活。


ここまで、いろいろとあった。(その分、この生活に慣れてきたここ1・2ヶ月が、めっちゃ短く感じるんだけど)
とりわけ、シェアについて言及したい。
スタート当初は、料理なんかを2人分作ったりもしていた。
が、今では、ほぼ無くなり、互いに適度な距離感(?)干渉をしなくなりつつある。


もちろん、光熱費・家賃などのお金に関する部分やゴミ・掃除などの処理は、ある程度やっているつもりだ。
自分としては、いろいろと言いたいことを秘めているものもあるが、まぁ先輩・後輩の関係ではあるし、ホントに必要な状況になればハッキリ伝えようとは思っている。
文句が無いわけではないのだ。


ただ、シェア生活を始める前に想定していたものに比べて、しっくりきているのかなぁとは思っている。
これからも同様の考えが続くかは分からないが、少なくとも現状としては満足出来るレベルにはなっている。
一生続けたいとは思わないけど、シェア生活にはシェアなりの魅力を感じることも出来ている。
やっぱり、社会人1年目の自分には、必要な環境だった気もする。


さてさて、まだ数日は同居人は戻ってこない。
そんな日々を満喫しようではありませんか。

歓喜の次に

こういう日にブログを更新できてしまう余裕がある。
いや、余裕はいつもある程度はあるのに、その時間とメンタルをこちらに振り分けることが出来ていないこと。
そのことは、もう少し考えた方が良いだろう。


自分も見ていた、なでしこJAPANが世界一となった試合。
運良くというべきか、必然だったのか。
いや、どう考えても運良く、後半がしばらく経ったぐらいの時間に目が覚める。
そこから試合がドンドンと展開していく。そんなタイミングから、試合を見始めた。


まぁこの際、勝敗とか試合内容に言及する必要は、この場ではないので。個人的見解を少々。


昨日寝る時、一応テレビで視聴予約だけはしておいた。
ただ、気持ちとして「たぶん、日本は勝てないだろうから。最後の最後だけ見るか、その後のニュースで結果だけ見れば良いかなぁ。」とは思っていた。
とは言うものの、自分が実際に起きたのは陽が部屋に差し込んできて、室温が上がった頃。
「そうだ、日本代表。どうなってんだろう?」、テレビを付ける。


スコアはまだ0対0。その後の展開は、取られて、取る。
いやいや、ホント諦めないって大事かもね。見ているこっちなんて、始めっからあきらめてるからなぁ。


これで、また日本のスポーツ界で1つ、世界一と誇れる競技が増えた。
個人的には、やっぱり野球の方が興味は強くて、身近に感じるから、WBCの衝撃よりは小さいかもしれない。
ただ、今日の決勝戦は1つの試合として評価できるものだと思う。それは、第2回WBCの日本と韓国の決勝戦とも通じるものを感じていた。
どっちにしても、勝っているからこその余裕なのかもしれないが・・・良い試合だったことには、変わりないと思う。


さて、試合を終えてから、主にフジテレビの報道を見ながら思ったこと。
この後、なでしこJAPANの皆さんは大変だろうなぁ、ということ。
「何が?」と言われると、いくつかあるとは思うけど。報道だったり、主たるサッカーにおいても。


結局、この瞬間が1番嬉しい時。そこがピークだと思うと、もう次の瞬間からはネガティブな発想しか出てこない。
束の間で、希少。出会ったその場から、栄光の幻影へと変化し続けていく。それが、自分たちがこの世界で掴み取ろうとしているもの。
そう思うと、絶望すら同時に感じさせてくれる。


もちろん、喜ぶべきことなのは分かるのだけれど。その喜びに限界があることも実感できてしまう。
そんな限界を理解できてしまうと、人間は満足出来なくなってしまう。
あの記念すべき勝利を振り返りつつ、この文章を書いているとその立場を受け止めることにもなった。


おめでとう、そして頑張ろう。

言葉に出来ない不安・不満

フリーターの身分になって、約2ヵ月。
学校に通っていた頃は、ブログに書きたいことがもう少しあった気がする。


でも、今は心身の疲れというか、目前の事象への応対で手一杯というか、終わり・目標の見えない生活への絶望というか。
言葉に出来ない不安・不満に押し出されて、日記に書きたいことなど前には出てきてくれない。
そう、何か言いたいこと・書きたいことはあるはずなんだ。ただ、それが表現しにくい。


職場・上司・自分、何に問題があるのか?
職場や上司にも、悪い部分が無くはない。ただ、どちらにも増して満足度数が足りないのが、自分自身の現状なのだ。そこが、言葉に出来ない一因になっている。
要は、誰かに伝えるべきならば、言語化して伝達することが必須になってくる。
ただ、自分自身に問題点があるのならば、それは分かりやすく誰かに伝える必要は基本的には無い。(自分がしっかり理解しておく必要はあるけど、それが充分出来ていないところに問題有)
それだけに、誰かに聞いてほしい・日記に吐露したいと思っても、「何が?」という話になってしまう。


どうすれば良いんだろう?
思いつかんよ。
内から湧き上がる何かを吐き出せないのもまずいけど、何か分からないものが確実に蓄積しているのに対処できないのも絶対まずいと思う。


あっ、でも。
分からないままでも、少しこうして書いてみたら、若干気分が変わってきたかも。
結局、分からないまま苦しいような雰囲気に陥っていたこと、それが事実だから。そのことが伝えられれば良かったのか。別に、何が原因なのか分かることや、問題への具体策を考えることが必要だったわけではないのかもしれない。


そんなことを書いている今日は、本来なら休みの日。それが急遽入ったバイトのおかげで、背広に腕を通し接客業務をすることに。
最近は銭湯に行ったり、CDデータの整理をやったり、まったりまったり休みの日を楽しんでいた。
今週はそんなわけで、週6の出勤ってことになる。自分にとっては未知の世界。


長い1週間が、もう既に始まっている。
はぁ・・・寝ないとね。明日もお仕事だから。


あ、『ジマンジュ』更新できずに申し訳ないです。(TmT)ウゥゥ・・・
全然手を付けられてないです。今週中には、可能な限りアップしたいとは思っているんですが・・・
何とも言えない状況では、あります。頑張ります!

いったん

今回の分を含め、6回に亘りラジオについて書き進めてきた。
そして、今回でその連載にひと区切りをつけることとなる。


「ラジオ雑誌を作ろう」という編集長の思いの下、各号ごとにテーマを設け書いてきた。“伊集院光”・“西川貴教”・“ポアロ”など、それぞれに大きく影響を受けてきた番組について。また、漠然とではあるものの、常に抱いているラジオに対する強い思い。
ある意味、読み手からすれば煩わしささえ感じるようなラジオへの思いを、吐露させてもらった。


ただ、“ラジオ”を語ってきたのは確かだが、ここで書くことが出来たものは本当に存在する“ラジオ”のうち、1%にも満たない局地的部分に他ならない。
結局1人の人間が関われる範囲内での、“ラジオ”を話したことでしかないのだ。
私の思いとしては、ラジオ雑誌と銘打つのならば、多くのラジオと呼ばれる形態のものについて触れるべきだと考えている。
AM・FMはもちろん、短波やインターネット、ポッドキャストコミュニティ放送などなど。今回触れることが出来なかった、多くのラジオについても掲載してこそ、真のラジオ雑誌としての存在が確立すると思っている。


もちろん、今回の雑誌発行に意義が無かったとは思わない。ニューオーダー編集長の言うよう、動いたことにこそ意味があると思う。
しかし、広い意味での“ラジオ”をカバーすることにラジオ雑誌の主眼を持っている個人としては、次に繋げる課題となったことは確かである。
そうした課題をクリアした上で、私の目指すラジオ雑誌を実現するには2つの要素が必要となる。
まずは、執筆メンバーの拡充。広い範囲のラジオを扱うつもりなのだから、それに伴ってカバーできるだけの人員が必須となってきてしまう。これは、いかに交友関係を広げられるか。そこにかかってくるだろう。ラジオについて、各方面の原稿を上げてくれる人、それはリスナー・作り手、どんな立場の人でもかまわないように私は考える。
そして、2つ目の要素として、長い時間が必要になる。これは、下準備などの前段階における所要時間もそうだが、発行間隔の話でもある。今回は週刊ということで、キチンと1週間に1度ペースとはなっていなかったが、基本的には週1で原稿を仕上げることとなっていた。ただ、これでは原稿の質・執筆や編集ということを考えると厳しさがあり、月刊・季刊ぐらいのペースが無難に思えている。


今回の執筆活動を活かして、再びラジオ雑誌を作れるその日まで。
あっ、でもブログの方では連載を続けようと思う。定期更新というわけにはいかないと思うけど、ラジオについて書けることがあれば、そちらで紹介していきたいと思う。

また、『はやし太郎のジマンジュ』も更新するんで、よろしくです!

八百万のラジオ

編集長からのお達し、「好きなラジオ番組について書いてください」。この伝令から、私はいろいろと考えた。
ただ、現状定期的にしっかりと聴けている番組は特に無く、この場で紹介できる程聴きこめている番組は無い。
また、これまで聞いていた番組も総合して考えると、前回書かせてもらった『ポアロのあと何分あるの?』になってしまう。さすがに2回連続で、同じ番組について書くのは適していないようにも思う。


さて、こうなってしまうと私にはどんな選択肢があるというのだろう。
そこで出た結論は、「1つでは至らなくとも、複数で纏まれば成立する」という“三本の矢by毛利元就”理論を、今回は採用する。
ということで、5回目にして、ミニコラム集的様相をお楽しみ(?)いただく。


《1》今、聴いている好きなラジオ番組
現在、私がラジオを聴ける時間は・・・冷静に考えてみると、アルバイト前の時間などケッコーあるのかもしれない。
しかし、実際に聞いている番組と言えば、平日の朝8時30分から文化放送で放送中の『くにまるジャパン』。平日の夜野球中継の無い日に放送していることがあるTBSラジオの『Kakiiin』、土曜午前に放送しているTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。これぐらいだろう。
大学卒業直後の22歳らしからぬ、各番組になっている。聴いている自分自身でもそう感じる。これらの番組を聞いている理由を考える前に、少し前に聴いていた番組の数々もご覧いただきたい。

田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』、『A&G超RADIO SHOW アニスパ!』、『A&Gメディアステーション こむちゃっとカウントダウン』(各番組とも、文化放送で放送)と、このような番組を毎週のように聴いていた。
声優が好きで、アニメやゲームなどに興味がある。そんな志向を持っている人間がラジオを聴くとなれば、こういう番組になるのは当然だと思う。


ただ、1年ほど前から、このような番組を私は聴けなくなった。ポアロを学園祭に呼んでからのことだ。これまでは、単なるリスナーとして心からラジオを楽しめていたのに、あれ以来何かが引っかかって声優さんの出てくるようなラジオを聴く意欲が湧いてこない。
こんな状況になってから、何度もこのようなことを説明してきたが、自分でも上手くこの心境を解釈できていない。何故、何が、どう変わってしまったのか。
1つ思うのは、「ある程度満足してしまった」ということはあるだろう。ポアロは、私自身の願望で音楽ライブを行ってもらったし、去年スタッフ参加させてもらった
“あゆごま”のネットラジオ公開録音についても言えることでもある。何年か前には手の届かない、ラジオやテレビの向こうにいる存在だった彼らが、お金さえ用意出来れば、自分たちの用意したステージへ上がってもらえる。
そんな夢のような話が、現実に存在し、それを自分たちが何も無いところからやってしまった。そのことで、お腹が一杯なのだろう。


少し話は逸れたが、こうした複雑な心境のおかげで今まで熱心に聴いていた番組とは距離を取り、前からも多少聞いていた番組たちを少しだけ聞いている。そういう状況となってしまったのだ。


《2》過去好きだったラジオ番組
これに関しては、?でも書いたり、前回までの連載でも書いてきた。繰り返しになってしまうが、『ポアロのあと何分あるの?』・『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』・『伊集院光 日曜日の秘密基地』・『伊集院光 深夜の馬鹿力』などなど、これまで触れてきた番組。
卒業制作で取り上げた『榎本温子のらじお・む〜』、くじびきで番組構成が決まってしまう画期的な番組『くじアンらじお』、ラジオというよりはテレビに近かった『ブロードバンド!ニッポン』・・・・・・・・・・・・・・
挙げれば切りが無い。こうした番組たちとの出会いから、私のラジオ像は作られている。


《3》好きなラジオ番組
面白いと思ったラジオを聴いて、次に私が思うのは「自分が作る番組をこの番組みたいに面白くするには、どうすれば良い?」ということ。ラジオを仕事として考えるようになったり、自分で番組を作るようになってからはそんな視点からも気にするようになっている。
その結果生み出されているのが、『はやし太郎のジマンジュ』ということになる。
(えっ?どこが、どう素晴らしく・面白くなっているのだろうか・・・全く、自信無し。)

そう、ここまでウダウダ言って引き伸ばしてきたが、言いたいことはコレなのだ。
『はやし太郎のジマンジュ』を聴いてください。


ラジオの楽しさ、それはパーソナリティー・リスナー・スタッフが楽しさを共有出来ること。
そうしたラジオを作るためには、まずはパーソナリティー・スタッフを兼ねている自分が面白いと思うこと、これをガンガンやる事にも意味があると考えている。
初めからリスナーのことを考えてと言っても、ネットラジオでどんなリスナー像をイメージすれば良いのか、ってことにもなるし。ラジオを取り巻く全ての人が楽しいと思えることを目的にするのならば、近いところから潰していこう、と。
そして、目標としては多くの人を巻き込む番組を作り、パーソナリティー・リスナー・スタッフの垣根を完全に無くす。これが、僕の考える“楽しいラジオの理想像”。


ごめんなさいね、分かりんにくい文章で。整理しておきます。
私の好きなラジオ番組、とりあえず今回出てきただけで。
『くにまるジャパン』・『Kakiiin』・『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』・『A&G超RADIO SHOW アニスパ!』・『A&Gメディアステーション こむちゃっとカウントダウン』・『ポアロのあと何分あるの?』・『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』・『伊集院光 日曜日の秘密基地』・『伊集院光 深夜の馬鹿力』・『榎本温子のらじお・む〜』・『くじアンらじお』・『ブロードバンド!ニッポン』・『はやし太郎のジマンジュ』。こんなとこ。

次回は、もう少しまともな文章にしたいと思う。

私のポア論

彼らの話をする時は、いつも何処からスタートさせれば良いのか悩む。
今回も、知っていることを前提に書けば良いのか、それとも全く知らないことを想定して書くべきなのか。
そもそも“ポアロ”のそういう微妙な知名度なところを含め、私はポアロファンでいることを楽しんでいるのだと思う。


さて、第4回の今回。テーマは、“ポアロ”ということになっているが、私は
ポアロのラジオは、何が面白いのか」、これについて書いていきたいと思う。
この文章を読む人には、ポアロのラジオ番組を聞いている人はあまりいないとは思う。その中でも、このことを書くことはどれだけの人に伝わるのか。そこは、よく分からない。
ただ、そこから私が受け取ってきた影響はとても強く、ラジオという存在が私の中で確立した要因でもある。そんなポアロのラジオを、冷静に考察し、私のラジオ観をご紹介できればと考えている。



いろいろと仰々しく書いたものの、別にそこまで大層なことも書ける気はしない。そもそも、ポアロのラジオをそこまでして書くこと自体、間違っている気もする。
結局、ポアロのラジオ、ここでは主にインターネットラジオポアロのあと何分あるの?』(以後、『あと何分』)という番組を中心に話を進めることになるのだが、そうした番組は“くだらない”ものを面白がるような部分に価値を見出している。普通のテレビやラジオでは出来ないような、露骨な下ネタや不謹慎極まりない話題。
こうしたことを今回のように文章で書いたとしても、楽しさが伝わるわけがない。でも、書くんだけど。


私にとって『あと何分』で味わえたくだらなさは、同級生と楽しんだ学校生活には存在せず、まして家庭内などでは絶対にあり得ないものだった。
そこで知りえた、感じることが出来たことは、少なくとも私にとっては他で味わえないものだった。ここで味わえた面白さを、私はラジオと認識することになった。
こう考えると、ポアロのラジオによって、ラジオを職業や将来の夢として捉えることになったのだろう。ニューオーダー編集長にとっての西川貴教と同じく、大きく人生に影響を、人生にラジオを与えてくれた。それが、ポアロのお二人になる。



うわぁ・・・何にも伝わらない文章になっている気がする。自分でも何が書きたいのか、甚だ疑問になってきた。いや、でも締め切り過ぎて止まるわけには・・・



はい、で。次にポアロの番組が面白かった理由は、メールの採用率だろう。
今では番組にメールを投稿していた当時の心境があまり理解できなくなりつつあるが、あの頃としては「面白い番組に、自分も参加したい」「ポアロさんに、自分の書いたメールを読んでもらいたい」「あ、ネタが思いついたから送ってみよ」、こんな心境だったと思う。
で、多くのラジオ番組では高い競争率の中、なかなか採用されることも無く送る機会が減ってしまうのかもしれない。
ただ、私にとっての『あと何分』に関しては、そこのハードルを越えることができた。
1、2年ぐらいの間は多くの採用をされようと何通ものメールを送り、“ハガキ職人”と呼ぶには経験が少なすぎるが、何回かの採用をされることになった。
そんな中で印象深いことが、3回ほどある。


1つは、変なテンションのポアロが即興の歌を歌いながら、私のペンネームを変えてくれたことがある。それまで「スイートポテト」という名前で私はメールを送っていたのだが、それを「甘くて美味しいスイートポテト和尚」という長ったらしい名前にわざわざポアロのお二人に変えてもらったのだ。
これが、『あと何分』での最初の採用の時だったと思う。もちろん、次にメールを送る時はこの長い名前に変えて送るようにしていた。
そのうちに、「読むにしても、ペンネーム長いだろうなぁ」と考え、「スイートポテト和尚」に短縮したんだけど。


また他に覚えているエピソードとしては、私の至らぬところを放送から痛感してしまったことがある。
ポアロBBS」という、あらゆるネタ投稿を受け入れてくれるコーナーがあるんだけど、そこに“道場”というものをキーワードに考えたネタを投稿した時。
私としては、“道場”を“道場六三郎(みちばろくさぶろう)”のつもりで書いていたのだが、無論文面で何の説明も無ければ伝わる訳も無く、普通に伊福部さんは「どうじょう」と読み、イミフな文章になっていた。
もしかしたら、あそこら辺から投稿することに抵抗が生まれたのかもしれない・・・
完全に自分自身の落ち度なんだけど。


そして、3つめのエピソードとしては、とある回の番組最後に空気を読んだメールを送り、読まれた時のこと。
“トリを勤める”ということにも優越感があり、また何を書いたかまでは覚えていないんだけど、番組の流れにマッチしたことを書けていた事はある程度覚えている。
まさに番組を形作る、その一端を味わうことが出来た経験だった。



さて、これまで書いてきたこと以外にも。
ポアロが関わっているアニメやゲーム関連の仕事から来る、そっち系の程よい話題や、鷲崎・伊福部両氏に存在すると見られる根底のネガティブ感、加えてポアロというアーティストによる楽曲がハマるツボなど。
挙げていけばさらに有り、話をしだすと切りが無いところでもある。


ただ、ここ1年ぐらいの間ポアロとは距離をとっていた。
その理由は、私が学園祭へ彼らを呼んだことにある。これまでラジオのリスナーとパーソナリティーという関係だったものが、同じステージを作る立場になり、彼らを楽しむ目線が少し変わってしまったのだ。
なんというか、1人のお客としてだけでは見られなくなってしまったのだ。


しかし、近頃ポアロに興味が再燃しつつある。そこには、新たな人間関係の構築も原因となっているかもしれない。
そう、ポアロと離れたくても、私の場合、既に無理がある。彼らに侵食され尽くし、中毒のように彼らを求めているのだから。


1度入ってしまえば、その連鎖も悪くない。

深夜放送のはじまり

深夜放送と言えば、やはり『オールナイトニッポン』が最もイメージしやすい。
前回も言及したが、山梨県甲府市で暮らした高校生までの日々。私が普通にラジオを聴く場合、選択肢はだいぶ限られる。
その中で最も身近に聴いていたのが、山梨放送・YBSである。


私が中高生だった頃のYBSでは、月〜金深夜帯は以下のような状況だったと思う。(あまり自信は無いが・・・)
22〜24時 ニッポン放送枠(allnightnippon SUPER、オールナイトニッポンいいネ!)
24〜25時 文化放送枠(LIPS PARTY 21.jp、レコメン!
25〜27時 ニッポン放送枠(@llnaightnippon.com、オールナイトニッポン
27〜28時 TBSラジオ枠(Be@t B@by!!、B-JUNK


そんな都合上、深夜放送に興味を持ち始めた時、無理なく聴けるのはニッポン放送の番組だった。そして私がはじめに意識して聴くようになったのは、浅い時間の『allnaghtnippon SUPER』だった。
月曜・ロンドンブーツ1号2号、火曜・西川貴教、水曜・ポルノグラフィティ、木曜・矢口真里、金曜・ネプチューン。このメンバーが、私にとっての“深夜放送・オールナイトニッポン”のファーストインプレッション。音楽やテレビで触れる機会の多いタレントが並ぶ、取っ付きやすい番組の数々となっていた。
そんな中でも、今回は火曜の西川貴教について。編集長からもらったテーマを、書いていこう。
T.M.Revolution西川貴教を私が知ったのは、おそらくミュージックステーションなどの音楽番組だったと思う。「WHITE BREATH」あたりのPVが派手で、「何故にこの格好をしているの?」という子供でも分かりやすく引っかかる。そんなアーティストとしてのイメージがあった。
そんな印象を抱いてから数年経ち、彼にラジオで出会うことになる。素直に言うと、半裸で歌を唄っているくらいのイメージしか無く、そんな人のラジオ番組は全く予想出来ていなかった。


ただ、聴き始めてみると、テレビで観るような印象とは違い、ラジオにおける西川貴教がとても面白く感じるようになっていた。
前回特集した伊集院光に、まだ出会う前。今にして思えば、伊集院テイストに近いものを『allnaightnippon SUPER』内で感じられていた、そんな番組だったと思う。
ハガキ職人というものを認識したのも、おそらくこの番組が最初だったのではないだろうか。そんな職人達と、電波やハガキを通じてだけではなく、西川さんは番組内で直接交流もしていた覚えがある。
『allnightnippon SUPER』は、最初に意識をした深夜番組なので、それぞれの番組に少ないながらもある程度の印象も残っている。そうした『SUPER』の中でも、
西川貴教のallnightnippon SUPER』は特に下品で面白いイメージがあった。そう考えると、私がラジオというメディアに抱いているある種の理想像、その発端はこの番組からスタートしているのかもしれない。


そして、西川貴教を語る上で無視できないのは、私が『allnightnippon SUPER』を聞き始めた頃に彼が展開し始めた、「機動戦士ガンダムSEEDシリーズ」との絡み。
2002年にスタートした「機動戦士ガンダムSEED」には、T.M.RevolutionとしてOP・挿入歌の提供だけでなく、西川さん本人が声優としてキャラクターを演じることとなった。当時のラジオ内では、そのことにも触れていた記憶がある。
ガンダムはそれ以前から好きで観ていたが、西川さんの存在はまた違うガンダムの動きをテレビ・ラジオから二面的に感じさせてくれた。


ここまで書き進めてきたが、西川さんのラジオから離れて既に10年近く。
正直に言えば、忘れていること多数、覚えていること一握り。そういう状況だ。これ以上何かをフワフワ書くことは、西川さんに対して失礼なことにもなる。
ここいらで、終わっておこう。